八丈島食虫植物の聖地「一正園」
八丈島には「食虫植物の聖地」と呼ばれる場所がある。戦後その伝説は静かに、そして長い時間をかけてゆっくりと豊かに成長し花開いたという。それが今回紹介する「一正園(いっせいえん)」のお話。
一正園のストーリーを語るには、八丈島の園芸文化の繁栄の歴史が欠かせないという。簡単にその歴史を振り返りながら八丈島の植物と聖地を作り上げた奥山一正氏とその奥様の人生について紐解いてみたい。
一正園の歴史
昭和33(1958)年、今から約70年前に八丈島ではハワイで栽培されているような亜熱帯の植物の生育に適していると分かり、少しずつ植物農家や販売所が作られるようになった。ちょうどその頃、チキンラーメンが開発販売され、その3年後に電気洗濯機の家庭普及率が50%を突破という時代背景を振り返ってみると、戦後まだまだ厳しい時代であったことは間違いない。
創設者の奥山一正氏はマリアナ諸島にあるテニアン島で少年期を過ごし、その後逓信講習所を卒業、海軍の通信士として内地で軍属勤務に従事した経験を持つ。そんな奥山一正氏がこの八丈島で昭和35年に自宅の1部屋を改装し、蘭やアナナス(パイナップル科の植物)を趣味で育て始めたのが一正園のはじまりだという。
そうしているうちに、八丈島に住む植物に詳しい島人が夜な夜な一正園に集まるようになり、仕事が終わると毎晩のように遅くまで園芸談義に花を咲かせる日々が続いた。
ついには島民だけでなく、島の外からも植物を愛する有識者や知識人たちがさまざまな亜熱帯に生息する種や植物を持ち込むようになり、たくさんの日が降り注ぎ南国の樹木にちょうど良い寒暖差を持つこの八丈島で静かにそして長い時間をかけて確実に育っていった。
日中はたくさんの植物を育て、記録を取り、新種 を生み出す。夜になればたくさんの植物好きが集まり、意見を交換したり成果を披露しあう。その合間に苗木の販売目録を作成し、ガリ版印刷、そして郵送作業もすべて家族でこなしたという。
そうした貴重な印刷物は今も残っており、当時の一正園の取り扱う植物や苗の幅広さ、素晴らしさの一端を覗くことができる。どれだけの情熱とどれだけの努力や手間のうえにこの聖地は生み出されたのか。どう考えても誰もができることではない。
八丈島食虫植物サロンの誕生
一正園はまさに八丈島にある「秘密の研究所・サロン」として機能しており、その中心にはいつも奥山一正氏とその奥様の姿があった。お二人の人柄とそして愛情によりこの八丈島という小さな島から多くの新種の植物が生まれたのだと思う。
当時植物の育て方はすべて口伝えで、毎日試行錯誤の連続だったという。
もともと食虫植物に注目したのは、蘭と生育環境が近いということ、そしてまた湿度の高い八丈島の気候にも比較的適していたことも影響したらしい。その当時は食虫植物だけに注目していたわけではなく、当時はまだ珍しく高価であった南国フルーツの苗木など、とにかくあらゆるものを試したそう。
その旺盛な研究熱心さこそ、結果的に「食虫植物の聖地」と呼ばれる理由でもある。東京から遠く離れた八丈島に誕生した豊かな園芸文化の発信地。インターネットもない時代にどのようにしてこんな偉業が生まれたのか、と不思議に思う。
食虫植物は育てるのに手間がかかる植物で、とても難しい。こまめな水やりと太陽の光が大切で体調が悪い時も水やりを欠かすことはなかったそうだ。さまざまな模様や大きさ、種類があり、太陽の光を浴びないと捕虫葉(壺のような部分など)ができないこと、そして虫を食べるので一切肥料は必要ないこと。
聞けば聞くほど不思議で魅力的な植物であることがわかる。もともとはフィリピンやマレーシアなどの亜熱帯地方の植物で 、オスとメスがあり、その二つが揃わないと増えることはない。そうした希少性や手間もあり、多くの知識人に愛されたというのも納得の生態を持つ。
日々交配を繰り返して新種を作り出し、少しでも丈夫で美しい、どこにもない食虫植物をこの八丈島でたくさん生み出し続け、愛好家からも注目を浴びることとなった。生み出した株が新種かどうかは定期的に開かれる愛好家たちによる学会で確認されたという。そして新種と認められれば、名前を付けることが許される。特に優秀でお気に入りの新種には愛する息子さんの名前が入っていたり、とほっこりとするエピソードも。
南国フルーツの樹とともに
八丈島が植物の生産地として高い評価を得られるようになった理由のひとつが、この一正園があったから。現在も島にある南国フルーツの樹木は一正園から生まれたものも多い。島の植物園などで目にすることができる。
そんな名声を手にした島の「秘密の研究所・サロン」も高齢化が進み、さらには世界からたくさんのものが安く大量に持ち込まれる時代が長く続いたことで、伝説となりつつある。
今八丈島で「食虫植物」を見かけることがあれば、それは八丈生まれの貴重で希少な時代の生き証人なのかもしれない。
そんなストーリーを思い出しながら、ぜひこの島の宝である美しい「植物」を愛でてほしいと願う。